インド旅行に行ったときの話

「インドで自分探しの旅」とか旅行パンフレットに記載されていたりしますが、実際にインドに行っても自分は見つかりません。


私が旅行先にインドを選んだ理由は、日本とは文化も、経済状況も、治安も、言葉も、人種も全てが違う国であったからです。ただただ、日本社会の要素がない国に行きたいと思ったからです。理由があるようで、理由のない旅でした。そして、とても衝撃的な旅でした。

インドの空港

実際に行ってみたインドは、私が思っていたよりも経済が発展していました。

エリアによっては、日本の都会にあるような大きなマンションが立ち並ぶ地域もあります。

 

旅行にあたって、私は「ラジさん」というインド人の通訳とインド人の運転手を旅行会社を通じて雇い、車を一台貸し切りで手配して、インド国内を移動しました。

 

公共交通機関を無事に利用するだけの言語スキルがないと判断したため、そうしたのですが、空港到着後にホテルに向かう道中で、いきなりインドの車事情にまず驚かされることになります。

インドの車

車に乗っている間、ずっと周りの車からのクラクションが鳴り響いています。そして私の雇った運転手も3秒に1回くらいのペースでクラクションを鳴らしていました。

 

始めはヤバい運転手にあたったのかと思いましたが、「インドではクラクションは安全な運転のために欠かせないものである」と通訳の方が教えてくださいました。

 

インドでは、周りの車や人に対してクラクションを鳴らすことで、「自分の車がここにいるぞ」ということをアピールして、注意を促すという役割があります。

 

私が乗ったタタモータース製の車には、ウインカーが付いていましたが、これは使いません。車線変更(但し、多くの車線は日本のようにキッチリしていませんが)する際にもウインカーを使うことはありません。ラクションを鳴らしまくって車線を変更します。細い路地で車とすれ違う時にも、これでもかと鳴らしまくります。


日本のようにクラクションを鳴らされたことに腹を立て、後ろから煽ってくる人はいません。クラクションを鳴らすことが当たり前の文化です。

 

インドには人が多いですが、人だけでなく、郊外に出ると動物もたくさん道路上を歩いています。牛などの日本でも見かける動物に加え、ゾウやラクダにも遭遇します。停車中にすぐ横でラクダが草を食べ始めたのには笑いました。確かにゾウやラクダには、小さく点滅するウインカーよりも、大音量のクラクションの方が効果ありそうです。

 

交通事情に加え、もう一つ衝撃的だったことは、エリアによって貧富の差に天と地ほどの違いがあるということです。

インドの町

経済発展しているエリアには、グッチ等のブランドショップがあります。メニューが個性的なマクドナルドもあります。ただし、少しそのエリアを離れるだけで、満足に家も持たない乞食だけのエリアにたどり着きます。


そして、観光客の車が来たと分かると、すぐに寄ってきます。渋滞で停車すると、あっという間に乞食に取り囲まれます。ジェスチャーで「何か食べ物をよこせ」と訴えてきます。通訳の方からは「決して目を合わせないように」と言われました。目を合わせるとその行動がエスカレートしてしまうからだそうです。


泊まったホテルでも、あまり油断してはいけません。夜に出歩くなどもってのほか、「夜にすれ違う人全員を、悪人だと思ってください。」と通訳さんに言われました。もはやアウトレイジの世界です。ホテルの前には警備員が数人おり、その全員が大きな銃を抱えていました。観光客が持つ金品を狙った犯罪者の襲撃に備えているそうです。

 

 

通訳の方がおっしゃっていました。乞食になる人間の多くが教育を全く受けていないそうです。

そして、教育を受けていないが故に、乞食以外のまともな職業に就く術を知らないそうです。つまり「乞食以外の将来ビジョンが頭の中にない」ということです。

 

一方、日本では、新卒採用の学生が会社に属してサラリーマンになることが一般的です。それは決して悪いことではないですが、サラリーマンにならない職業選択の自由もあるのにも関わらず、多くの方はそれを選びません。

それにはいろいろな理由があると思いますが、理由の一つとして、「サラリーマン以外の職業に就くというビジョンが頭の中にない」という方もいると思います。実際、私はそうでした。

 

〇〇という職業があることを知らなければ、〇〇を目指すこともない。

 

そういう意味では、少し考えさせられる話でした。

教育の大切さや、社会人になる前に世の中を自分の目で良く見ておくことの大切さを感じた気がします。ちょっと私は気づくのが遅かったですが…。

 


さて、テレビのバラエティ番組の中では、インドといえばタージマハル等の超有名スポットの美しさに焦点があたります。

タージマハル

言いかえると、テレビ放送に耐えうる綺麗な場所しか紹介されていません。

 

私もタージマハルに行きましたし、感動もしましたが、正直インド旅行はいたるところにツッコミ所が多すぎて、それどころではありませんでした。

 

インドで「円をルピーに両替したら、その半分以上のお札に血が付いている」とか、「トイレを済ませると、手を拭くための紙を渡してくれる係の人が必ずいる」とか(その人にチップを払わなければ、トイレから出られません)、常に緊張感を持って旅をしていました。

 

でも、インド旅行で一番心に残ったのは、タージマハルではなく、ラクダの近くを爆走する車でもなく、乞食になるためだけに毎日を過ごす、キレイな目をした小さな子供達かもしれません。

 

そして、インドの劣悪な治安を通じて、日本のおかれた環境に感謝することもできました。

少なくとも私は安全な街に住み、深夜に歩いてコンビニに行くことができ、自分のやりたい仕事を決めることができます。そして、その仕事を辞めることができます。

 

インドはとても衝撃的で、ある意味魅力的な国ですが、日本人一人での行動は絶対にお勧めしません。

必ず旅行会社を通じて雇った現地の通訳等と共に移動し、可能であれば運転手付きの車をチャーターしてください。インドで車を運転手付きでチャーターしても、全然高くありません。

 

今回お世話になった通訳さんからお聞きしましたが、一人で旅行している観光客に優しい言葉をかけて近づき、睡眠薬を飲ませて、持ち物が全て盗まれるという事件が、過去に多発したようです。そしてその観光客の多くが二度と目を覚まさなかったそうです。

 

インドが魅力的な国であることは否定しませんが、テレビが放つ「インドの世界遺産は素晴らしい」という、ステレオタイプなイメージだけで、安易に単身バックパッカーにならないよう、十分ご注意ください。

 

厚切りジェイソンさんに教わった、ミニマムスタートという仕事のありかた

ある仕事の関係でたまたま厚切りジェイソンさんとお話しする機会がありました。「Why Japanese people?」というフレーズが有名な方です。最近では子供向けの英語教育番組や、CM等、多方面でご活躍されています。また、ジェイソンさんはIT企業の役員でもあります。

 

数回、言葉のやりとりをしただけであり、たくさんの関係者のうちの一人ですので、ご本人は、私のことは覚えていないと思いますが、その時のお話で印象に残っているフレーズがあります。

 

ミニマムスタートという言葉です。

 

ミニマム(最小限)のスタートという意味で、


「何か新しいことをやりたくなったら、今の立場のままでいいから、少しだけ始めてみよう。最小限のスタートであれば、大きな決断はいらない。」


「それがうまく行けば続けよう。うまく行かなかったらまた違うことを考えてみよう。」


「それを繰り返しているうちに後悔のない人生になる。」


という趣旨の言葉でした。

 

その言葉が忘れられず、それ以降は、何か気になることがあったら、会社NGでない範囲であれば何でもやってみることにしました。

と同時に、サラリーマンという立場のままでも始められることが山ほどあるということに改めて気が付きました。

 

自分が知らない新しいことを探すという楽しみが増えました。

 

何かを学ぼうと思えば、ネット検索すればいくらでも講座やワークショップがヒットします。その中には、必ず自分のペースでもできるものがあります。

そして新しいことを始めると、新しい人との関わりが増えます。その人を通じてまた新しい世界を知ることができます。

 

サラリーマンという仕事は毎日毎日出社しなければならないので大変ですが、その分安定した給与が得られます。

安定した収入があるうえで、プライベートの時間には自分の世界をいくらでも広げられると思うと、サラリーマンも悪くないかなと思います。

 

私もかれこれ、いろいろなことにチャレンジしましたが、情けないことに長続きするものはその中のほんの一部です。

 

でもそれでもいいと思っています。

 

勉強のために思いつきで購入した数万円の教材がいくら無駄になろうと、私の人生トータルで見れば、何の悪影響もありません。むしろ自虐ネタが一つ増えて、会話が楽しくなるくらいです。

 

全てがプラスです。

 

全てがプラスなのですから、「やってみたいけど、お金にならないからやめよう」だとか、「他の人もやっていることだからやめよう」だとか、そんなことは考える必要はありません。やってみたいと思うことを実行し、やめたくなったらやめるだけです。

 

全ての選択肢が正解です。

 

それは、自分が試してきたことを、自分の人生を全肯定することに繋がります。

 

ジェイソンさんも、こうやって自分の活躍の場を広げていったのかもしれません。

 

避難所に行ってはじめて分かること

2018年台風21号の被害も収束しないうちに、2018年9月6日午前3時8分ころ北海道で、最大震度7地震が発生しました。北海道で震度6強が観測されたのは、新しい震度基準になってから初めてとのことです。


近畿地方における広範囲の停電がまだ解消されていないうちに、新たに大規模停電が別の場所で発生するという、あまり聞いたことのないような状態になっています。
今も多くの避難所が開設されていると思います。

 

私は過去、「東日本大震災」発生当時、避難所の支援活動を行ったことがあります。
当時の支援活動で伺った避難所はとても悲惨な状態でした。

 

多くの方が、避難所で長期間過ごすという経験がないと思います。

災害が発生すると、行政機関から「避難指示」「避難勧告」等が発令され、危険が予想されるエリアから、避難所への避難を促されます。避難しない人もいますが、自宅に大きな被害があった場合、多くの方が安心を求めて避難所にやってきます。

 

ですが、私の経験上、大災害発生時に人であふれかえる避難所は、とても過酷な生活環境となっています。とてもホッと一息できるような空間は、そこにはありません。

 

まず、とても忙しいです。

 

テレビのニュース番組で、おじいちゃんやおばあちゃんが体育館に段ボールを敷いて、その上に横たわっている避難所の光景を見たことがある方は多いと思います。

それだけを切り取ってみると、避難所が忙しいという感覚はあまり伝わらないかもしれません。

 

しかし、大災害発生直後の避難所で、ずっと寝ていられるのは体調の悪い方や、体の不自由な方だけであると思った方が良いです。動ける方には仕事があります。

 

何かというと、避難所の運営です。

 

避難所は市区町村等の行政機関が開設します。そこに市区町村から行政職員が来ることもありますが、広範囲における災害の場合、各避難所に派遣される支援職員は、多くて数人です。場合によっては全く来られない場合もあります。

 

職員が来られない場合は言うまでもないですが、仮に来たとしても、職員数人で、数百人規模の避難者をさばき、飲み物や食べ物等の物資配布ができるでしょうか。


間違いなく絶対にできません。

 

圧倒的に人が足りないため、そこにいる人が協力して避難所を運営することになります。
防災には自助・共助という考え方が必要です。

 

避難所が学校である場合、学校職員が避難所運営に加わることになりますが、学校職員は24時間休まず働ける訳ではありません。そして、職員もまた被災者です。もし仮に子どもが大けがをしていて付き添う必要があれば、避難所運営どころではないでしょう。

 

よって、避難所では、行政職員や学校職員が当たり前に何でもやってくれるという考えは通用しません。自分で動く必要があります。そして、飲み物や食べ物等の物資が配布されるとしても、発災直後は非常に少ないです。被災者同士が譲り合いの気持ちがないと、あっという間にトラブル発生です。

そして、ケンカをしたところで、ケンカの仲裁をしてくれるような人はそこにはいません。ただでさえ職員の皆さんは忙しいのですから。

 

また、もう一つ避難所の過酷さを極めるのはトイレ環境です。

 

豪雨では大丈夫かもしれませんが、大地震の場合、ほぼ間違いなく水がとまります。
水がとまった時の水洗トイレの悲惨さを想像できるでしょうか。現実はその想像をはるかに超えると思います。

 

汚い話になりますが、ご容赦ください。

 

トイレの水が流れないということは、汚物は当然流れません。流れませんが、人が生きていれば必ずトイレに行かなければなりませんので、汚物がたまったままのトイレで用を足すことになります。最終的には、便器が汚物で溢れます。そしてとてつもなく臭いです。

 

トイレットペーパーがあればまだいい方です。

仮に学校が避難所になっている場合でも、避難者数百人のトイレをカバーできるほど、トイレットペーパーは置いてありません。すぐになくなります。皆自分のもっているティッシュや紙、ハンカチなどで拭くことになります。それらも無くなれば拭くことすらできません。

この過酷な状態でストレスを感じない方がおかしいです。

 

避難所で体調を崩して病院に運ばれる方が後を絶たないのは、このような過酷な環境が裏にあるからです。暑い寒いだけではありません。マスメディアによって伝えられることはあまりありませんが…。

 

では非難しない方がいいのでしょうか。

しかし、自宅が危険な場合はそういう訳にもいきません。


いろいろ考え方があるかもしれませんが、私は経験上「体の不自由な方や、小さな子供がいる場合、避難先は避難所でなくても良い。」と考えています。

 

ではどこに逃げるのかというと、「被害の全くないエリア」です。地震であれば、少し震源地を離れるだけで、全く被害のない場所がたくさんあります。

近隣県でも、遠くの県でもよいので、被害が全くないエリアのビジネスホテルや安い民宿等をおさえて、1~2週間くらいそこで過ごすということです。

 

東日本大震災が発災した直後、私の居た岐阜県もかなり揺れましたが、ライフラインは無事ですし、コンビニはどこも通常営業していました。スーパーで物が足りないという訳でもありません。普段どおりの生活がありました。

 

岐阜県から福島県までは遠いです。

遠いですが、車で一日あれば十分移動できる距離です。


車で一日あれば移動できる距離に、何不自由なく生活できる環境があるのであれば、

そして、もしその移動手段があるのであれば、そこに行くという選択肢を排除する理由がありません。

 

お金はもちろんたくさんかかります。
確かにたくさんかかりますが、ここで使わずして何のためのお金でしょうか。
被災地に留まって病気になるより、百倍マシです。

 

私は、災害の多い日本のインフラ復旧能力は、世界最強だと思っています。
1~2週間被災地を離れて、戻ってきたころには、快適さのレベルは桁違いに上がっています。そこからゆっくり家の片づけを始めても良いと思います。

 

ちなみに、安全なエリアに避難する際の移動のタイミングですが、本当の発災直後はお勧めしません。何故ならどこを通れば被災地を脱出できるのか、この時点では情報がないからです。道がなければ車は走れません。


一番間違いないのは、被災地に物資が届けられ始めたタイミングです。

 

被災地に物資が入ってくるということは、「大きなトラックが、安全なエリアから被災地に入ることができる道がある」ということです。
入ることができたのであれば、出ることができます。トラックを運転してきた方に話を聞くのが最も確実です。

 

今回お伝えした、被災地から離れるというのは一つの手段です。

この手段は万能ではありません。


被害を受けた家を離れて無人にするということは、悲しいことですが火事場泥棒に遭うリスクもあります。その場合は、誰か最低でも一人は被災地に残らなければならないかもしれません。

 

それでも、一つの選択肢としてこの手段は有効です。事実、被災地で同じことを実行されている方はたくさんいらっしゃいました。

 

発災直後は困難な状況で、何も考えられないかもしれませんが、つらい時こそ少しでもストレスを軽減するため、様々な選択肢を持って行動していただければと思います。

それと同時に、現地の被害が少ないことを心よりお祈りします。

台風の時に、どうすれば仕事を休めるのか考えてみる

2018年9月4日台風21号の影響で、私が住んでいる岐阜県岐阜市はとんでもない強風が吹き荒れていました。台風が上陸した場所に比べれば、まだマシだったのかもしれませんが、あちこちで倒木がありましたし、大規模な停電も発生しました。

 

そして我が家もしっかり停電しました。懐中電灯の灯りでなんとかやり過ごしたものの、とても不便な一夜を過ごしました。

 

この記事を読んでいる方の中にも、台風の影響を受けた方がいらっしゃるかもしれません。皆様に被害がなかったことを心よりお祈りいたします。

 

さて、今回のように台風が来る度、出社すべきかそうでないかの議論が起こりますが、労働者の意見の多くがそうであるように、私も原則出社すべきではないと思います。

 

とはいえ、現実的にはそうはいかないのが今の日本企業です。私が過去に勤めていたどの職場も同じでした。「台風=危険=休み」という発想がそもそもないのです。

私は台風が来るたびに、どうやったら自然に休めるのかをいつも考えていました。

 「台風休み」という分野の専門研究員と名乗っても良いかもしれません。


誰しも台風の時まで出勤したくはありませんが、実際は、台風の中でもやるべき仕事はあります。都道府県・市町村・警察・消防をはじめとした公的機関や電気・ガス等のインフラ、ケガをした方を搬送する先である病院は、被害発生時であっても必ず必要とされる仕事であると言えます。これらの仕事は台風被害の軽減、防御、復旧を担っているからです。台風から世の中を守るための仕事があります。

 

今回の台風被害でも何台ものパトカーを見かけましたし、停電した信号機のある場所では、警察官が手信号で対応されていました。大変な業務、本当にお疲れ様です。

 

一方台風当日にすべきでない仕事とは何でしょうか。実際は、台風から世の中を守ることが本業でない限り、台風直撃の日に絶対すべき仕事など、ほとんどありません。大事な打合せや会議、お客様の対応があったとしても、日にちを改めるべきです。

 

日本のサラリーマンはとても真面目です。台風だからといって会社を休むなどもってのほか、重要な会議に出席できないことが、この世の終わりのような感覚を持っている人もいます。そのような方は何がなんでも会社までたどり着こうとします。

 

私にはそうは思いません。台風に恐怖を感じて休みたいと思うことは、人間として自然な反応だと思います。

 

そして、台風の日に重要な会議ができなくても、この世は終わりません。

 

別の日に改めて予定が組まれるだけです。人生が大きく狂うこともありません。

 

その代わり予定変更のための調整は必要です。関係者に説明をする必要があります。でもそれは決して難しいことではありません。

 

そもそも関係者も台風の存在を知っていますし、台風の影響がいつ頃になるのかは、今やスマホ一つで簡単に調べられます。台風情報はかなり前から分かりますので、時間が全くない訳でもありません。


そして、「台風で危険が伴うため、○○を延期させてください。」というお願いが、全く理解できないと思う社会人もいないでしょう。多くの方は、「そうですね。延期しましょう。」と思うはずです。

 

ではなぜ、実際にはそれがやめられないのでしょうか。

 

台風の日でも仕事を優先するということは、言いかえると、経営者が台風による被害(関係者や従業員のケガ・事故)よりも、その日仕事をしなかった場合のデメリットの方が大きいと考えていると言うことです。

つまり、

「台風被害の損失(従業員等のケガ・事故)<予定を変更した場合の仕事上のデメリット」

という考えをもっているということです。


仕事上のデメリットとは、会社の損失と言いかえることができますので、

「台風被害の損失(従業員等のケガ・事故)<予定を変更した場合の会社の損失」

となります。

 

世の中には、私が経験したことがない仕事が星の数ほどありますので、ひょっとしたらこの式が成立する仕事も中にはあるかもしれません。

 

しかし実際には、たかだか予定を変更した時のデメリットが、従業員等のケガ・事故のデメリットを上回ることがあるのでしょうか。


少なくとも私の周辺には、そのような仕事はありません。

 

従業員や関係者に危険を与える行為とは、従業員や関係者を軽視する行為です。
従業員や関係者がケガをしたら、あっという間にネット情報が拡散する時代です。経営者としてもリスクが高すぎます。

 

従業員が出勤できないほどの異常気象の中、24時間営業を無理やり命じた某コンビニの本社は、どれほどの批判を世間から浴びていたでしょうか。企業にブランド力や体力がなければ潰れているレベルです。


台風でも従業員を休ませない経営者は、このリスクの重要さに気づいていません。


逆に言うと、台風で仕事を休みたいと思えば、まずこの点を訴求できるような訴えをする必要があります。

 

つまり、
「台風被害の損失(従業員等のケガ・事故)<予定を変更した場合の会社の損失」
ではなく、
「台風被害の損失(従業員等のケガ・事故)>予定を変更した場合の会社の損失」
ということを訴求するということです。

 

ロジックとしては、「私が休みたい」のではなく(本当は休みたいのですが…)、「休ませないと会社に損失がでますよ」という趣旨の説得をする必要があります。

経営者は当たり前ですが、会社の損失を嫌がりますので、この説得方法が一番効果があります。私が過去に勤めた全ての会社で試した結果です。

労働組合があれば労働組合に、こうした意見を言ってもらいましょう。

 

サラリーマンである以上、経営者の意見を無視することは無理だと思います。会社を辞めないのであれば、経営者を説得することが必要です。その時に大切なのは、相手が何故そのような行動をとるのか相手の事情を考えることです。相手の事情を考えると、攻めるべき論点が見えてきます。

 

皆さん頑張って休みましょう。

職場の飲み会が苦手な人は、自分が思うよりもずっと多い

日本でサラリーマンとして企業に属していると必ず、「飲み会」が開催されます。頻度の差こそあれ、飲み会が全くないという職場は少ないのではないかと思います。

 

私は生まれつきのアルコールアレルギーのため、お酒が一切飲めません。お酒をおいしいと感じたこともありません。うっかりお酒を飲むと呼吸が苦しくなるため、医者に止められています。

 

正直お酒が飲める方がうらやましく、お酒を飲むという人生の楽しみがない分、少し損しているかなと思うこともあります。

 

 

私が新卒で入社した会社は、それはもう飲み会の多い職場で、月曜日から金曜日の平日5日間のうち、取引先との接待でもないのに毎週平均で2~3日飲み会があるという異常な職場でした。車通勤であれば運転を口実に断れたりもしますが、電車通勤の上、独身の新卒であったため、2~3日のうち1日くらいは断ることができても、なかなか全てを断る理由が見つかりません。

 

コース料理と飲み放題料金だけでも、新卒の給料ではかなりの負担です。お酒好きの上司とのお付き合い飲み会もあり、その場合は上司が払ってくれるとはいえ、毎回平均4千円程の出費がありました。回数が多いので、トータルでは結構な金額になります。

 

ただし、私が飲み会を断りたかった本当の理由は、上司が嫌いということでも、お酒が飲めないということでも、お金を使いたくなかったということでもありません。一番抵抗感を持っていたのは、時間を奪われるという感覚です。

 

実はちょうどその頃、仕事をしながら資格試験の勉強をしており、時間を確保することが必要でした。加えて大学時代からの趣味である水泳のために、会社帰りにジムに行きたかったということも理由の一つです。

 

でもその時は、そういった事情があることを周りに話してはいませんでした。

 

 

サラリーマンの方のご相談を聞くと、職場の飲み会にストレスを感じているという方が思うよりずっと多くいらっしゃいます。特に年齢の若い方に強い傾向です。

 

ただし、その理由を聞くと、上司や人間関係が嫌で参加しないという方は、実はあまり多くありません(もちろん一定数はいらっしゃいますが…)。若い方はむしろ職場の人間関係を大切にしたいと考えている方が多いです。お酒が嫌いだからという理由もどちらかというと少数派です。一番多いストレス要因は、自分の時間が奪われることへの抵抗感です。

 

 

最初に申し上げておきますが、この記事は、頻繁に飲み歩いていらっしゃる方を否定する記事でも、お酒を飲まず自分の時間を大切にする方を肯定する記事でもありません。

  

この記事で伝えたいのは、人にはそれぞれ事情があり、そしてその事情を相手に伝えることが、いかにストレスを軽減するかということです。

 

飲み会に参加したくないと思う方には何かしらの理由、事情があります。

そして、飲み会でお酒を飲みたいと考えている人にも事情があります。

 

飲み会に参加しないのは、趣味の時間が欲しいのかも、勉強のためかもしれません。たまたま気分が乗らないのかもしれません。

 

飲み会でお酒を飲みたいのは、1人だと入りづらい店に行きたいのかもしれません。愚痴を聞いてもらいたいのかもしれません。

 

忘れていけないのは、各々がその行動を取る理由に、必ずしも悪意があるとは限らないということです。

 

これをうっかり悪意としてとらえると、どうなるでしょうか。

 

「自分の誘いを断ったから、あの人はきっと自分のことが嫌いだ。」と思い込んでしまうかもしれません。

何度も行きたくない飲み会を誘われることにより、相手に対して漠然とした苦手意識を持ってしまうかもしれません。

 

本当はどちらにも悪意が存在していないのに、お互いの関係が悪くなることに繋がります。

 

誰も得をしていません。

ではどうすればよいのでしょうか。

 

明確です。自分の事情を伝えましょう。

 

我慢してストレスを抱える人は、意外と自分の事情を説明していません。事情を説明することによって、人間関係が悪化すると思い込んでいらっしゃる人もいます。ですが実際は、相手の事情が分からないが故に、人間関係が悪化したりギクシャクしたりすることの方が圧倒的に多いです。

 

はっきり言って「言わなければ分からない」のです。

 

あなたの事情はあなた特有のものです。他人が否定するものではないですし、話しても否定されません。そして、人は自分が思っている以上に、相手の事情を考慮してくれるものです。そして事情を考慮することで相手から信頼されやすくなります。

 

例えば、私は今でもお酒は一切飲めません。それが私の1つの事情です。

この事情を相手に伝えていなかったとしたらどうでしょうか。

 

相手がお酒好きの場合、お酒をメインとして飲み会のお店選びをするかもしれません。すると私は飲み会に参加するハードルが上がって、断る回数が多くなるかもしれません。相手は断られる理由が分からずに気分を害するかもしれません。結果自然と距離を置くようになるかもしれません。

 

結果、誰も得していません。

 

一方、私がお酒を飲めないことを相手に伝えておくとどうなるでしょうか。

 

相手は、お酒だけでなくツマミもおいしいお店を探してくれるかもしれません。景色がきれいな場所を探してくれるかもしれません。私は相手に信頼感を抱き、誘われたら必ずお受けするようになるかもしれません。誘う側も毎回断らずに受けてくれることで私を信頼してくれるかもしれません。

 

 お互いの関係が好転する材料がたくさん増えます。

 

飲み会で悩む方のうち本当に多くの方が、事情を説明するということを省略しがちです。

それは説明が難しいと思っていたり、理解してもらえないと思っていたりするのかもしれません。

 

しかし、世の中の人間は、自分が思っているよりずっと優しいです。そして、ちゃんと話せば理解しようとしてくれます。

 

もし万が一、事情を話したとして、それを知ったうえで無理強いしてきたり、邪魔してきたりするような方がいたとしたら、それこそが悪意のある人間です。

そもそもそのような悪意を持った人と良好な関係を築く必要があるのでしょうか。あなたが悩む必要があるのでしょうか。

 

悲しいことですが、世の中には人に危害を加えてくるような信頼してはいけない人間は確かに存在します。ですが、あなたがその方の存在に気を使って悩む必要は一切ありません。

 

人間は自分の事情を理解してもらっていると思えると、本当に信頼感が高まるものです。自分が無理をしないためにも、できるかぎり自分の事情は伝えておきましょう。

それだけで、人間関係のストレスは激減します。

そして、これは飲み会だけでなく、仕事やプライベート全てに繋がることでもあります。