副業を禁止するよりもまず、十分な給料を支給するのが先

サラリーマンとして働く以上、待遇面で重要なことはたくさんありますが、中でも重要なのは給料額だと思います。お金が余って仕方がないという人以外、給料額を気にしない人はいないでしょう。

 

私も給料額はとても気になります。

「やりがいがあれば最低賃金でもいい」という聖人君子の様な方が世の中にどのくらいいらっしゃるのか分かりませんが、全然共感できません。

 

どうせなら、やりがいとお金、両方もらえた方が絶対うれしいですし、何より高い給料は、会社が自分を大切にしているというパラメータです。給料が低いということは、「自分は会社から、高い給料を払うだけの価値がないと思われている」ということです。

それはとても悲しいことではないですか?

少なくとも私は嫌です。

 

会社によっては「昇給が全然ない」という方も、「むしろ減っている」という方もいらっしゃるかもしれませんが、余程のブラック企業でない限り、長く勤務すればするほど、給料が上がっていく傾向にあるのが一般的な日本企業です。

 

私が過去に勤務したどの会社でも、微々たるものでしたが昇給がありました。でも、給料の総額は少しずつ上がっているのに、生活にゆとりができている実感はありませんでした。

 

理由は税金です。給料が上がれば税金も上がるため、手に入れた昇給額は見事にピンハネされていきます。

加えて、少子高齢化により、社会保険料率が毎年ジワジワ上昇するというオマケまで付いています。雀の涙ほどの昇給額から税金が引かれ、新旧の給料明細を並べてじっくり見比べないと本当に昇給したのか分からないくらいの変化です。

 

まとまった額の昇給でない限り、手取り額の上昇を実感することは難しいのです。 

 

手取り額の大幅な上昇はなかなか難しいですが、手取り額が少ないからと言って、おこづかい稼ぎのために、安易に副業を行うことは多くの会社では認められていません。
昔より副業が解禁された会社は増えてきたとは言え、圧倒的多数は副業禁止です。

 

従業員が副業を始めると会社にとってデメリットがあるのは分かります。

副業が忙しすぎて本業への支障が出るかもしれませんし、副業が軌道に乗ってしまえば本業を辞めてしまうかもしれません。

 

でも、副業禁止という前に、副業しなくても生活費に困らない給料額を支給するのが先ではないですか。

 

日本の企業は大卒新卒が大好きです。当たり前ですが優秀な学生をほしがります。

それはよく分かります。会社に貢献してくれる優秀な人材を探すのは当たり前でしょう。

 

ただし、「優秀」を求めておきながら、副業を考えざるを得ない給料額が平気で提示されています。副業を考えざるを得ない状況に追い込んでおきながら副業禁止とは、全く理解不能です。

優秀な人材を厳選して雇っているのであれば、それに見合う給料を支給すべきです。それをせずに、副業も禁止ともなれば、お金を稼ぐ力がある優秀な人材はすぐに辞めていきます。

 

その辞めた人材を「最近の若者は我慢が続かない」と切り捨てるのでしょうか。

あまりにも無茶苦茶です。

そのような会社では、若い人が辞めるのも無理はありません。

 


日本、副業が徐々に認められつつあることについては、選択肢が増えてよいことだと思います。

ですが、副業ができるから良く、できないから悪いということが論点ではなく、会社の給料への期待をさっさとあきらめて、自然と副業に目が行くようなサラリーマンの待遇こそ問題視するべきではないかと私は強く思います。

政治家によって「うつ」になる公務員

公務員を経験したことがなく、仕事で関わり合いの少ない方にとって、公務員の仕事とは、どのようなイメージでしょうか。

 

いまだに「公務員はみんな定時で帰ることができる」と思っている方が、このご時世にどのくらいいらっしゃるのか分かりませんが、営業ノルマがなく、安定した職業で、民間企業のようにガツガツ仕事する必要がない気楽な職業だと思っている方は、少なからずいらっしゃると思います。

 

営業ノルマがなく、安定した職業であるということには同意しますが、少なくとも気楽な職業だとは思いません。

配属される部署によっては、精神的にかなり負担のかかる職業だと思います。実際、公務員でうつ病にかかり休職される方はたくさんいらっしゃいます。

 

どのような点が精神的な負担になりうるのでしょうか。

 

例えば地方公務員の場合、そのトップは市区町村であれば市区町村長であり、都道府県であれば都道府県知事です。トップが政治家であるが故に、必ず発生するのが選挙による影響です。

 

政治家は、選挙で落選すればただの人です。

 

故に、選挙前にもなると、選挙区内権力者による無茶な要望や、マイノリティな苦情、重箱の隅をつつくような指摘など、全力で拾い始めます。

票を少しでも獲得するためです。

当たり前ですが、対応するのはその部下である公務員です。

 

寄せられる要望の中には、当然対応できないこともあります。その場合は、できないことが「要望を受けた政治家のせいではない」という理由を考えさせられます。すぐに理由が見つからなければ、(胡散臭い)統計データを利用して無理やり理由付けしたり、他の自治体の事例(他の自治体でもできなかった事例)を調査したりすることになります。

正直、あまり国民の利益になるような仕事ではありませんが、この作業により多くの公務員が時間を奪われることになります。

 

一方、対応できることについては、それがどんなにマイノリティな要望であり、どんなに非効率な作業であっても、トップが指示する限りは、やらなければなりません。

 

いずれにしても、これらの対応を、通常業務のかたわらに行う必要があります。そして対応すべき案件は、数十件などのレベルではありません。

 

また、政治家の思い付きのようなレベルで突発的に発生するため、これらの要望対応により事務量が10倍になろうが、20倍になろうが、そのために人を臨時に雇うことはできません。霞が関において、国家公務員が議会対応で毎日徹夜になることは必然であると言えます。

 

もちろん、政治家からの要求が全て無駄だと言い切るつもりはありません。

ただし、そのうちの何割かが票集めのためであるということは事実です。マイノリティな要望を全て拾うということは、数万人に1人程度の人間しか希望しないことでも、多額の税金を投入して対応するということです。それは税金を払っているその他大勢の人には必要とされていません。

 

「多くの人に必要ないと分かっている仕事のために、連日徹夜をする」

 

この精神的なダメージは、計り知れないものがあります。

世の中を良くしたいという思いが強い人であればあるほど、このダメージは大きくなります。悲しいことに、志が高ければ高いほど、うつ病になります。

 

先日発生した西日本豪雨や、北海道の地震で被害のあった自治体では、おそらく多くの職員がその災害対応にあたっていらっしゃると思います。


災害対応に毎日あたっていらっしゃる自治体職員の方には頭が上がりませんが、残念ながら大災害発生直後は、政治家からの要望数が激増する期間でもあります。何故ならば、政治家にとって分かりやすいアピールができるチャンスだからです。

「防災対策のために〇〇をする」

これは誰にも分かりやすく、誰にとっても聞こえがいい言葉です。

関係のない人がいません。

つまり票につながります。

 

政治家の先生方は、発災直後の公務員がどれだけ忙しいかどうかには、あまり関心がありませんので、次から次へと寄せられる要望を指示していきます。

ただでさえ疲労がピークに達している時に、「今はそれじゃない」ことを次から次へと指示されれば、誰だって嫌になります。

 

被災地を内閣総理大臣が視察に来るというだけで、一体何人の職員がその準備作業に時間をとられるのでしょうか。

 

液状化現象により水がなかなか家に来ないことについて、政治家の先生に「行政の対応が遅いからなんとかしてくれ」と言うのは簡単ですが、発災後すぐに、全ての水道管を繋げるのは不可能です。被災した自宅へ戻ることもできず、徹夜で対応している職員をただただ追い詰めるだけで、事態は何も好転しません。

 

行政に対して要望することは必要ですが、何を言っても許されるわけではありません。
無茶苦茶な要望に対しては、もっと行政機関は怒っていいと思いますが、それを許してくれるだけの政治家の度量が無いことが悲しいです。

 

せめて私は、特に今回のような大災害時には、同じ人間として、お互いの事情を考えられる人でありたいと思います。

インド旅行に行ったときの話

「インドで自分探しの旅」とか旅行パンフレットに記載されていたりしますが、実際にインドに行っても自分は見つかりません。


私が旅行先にインドを選んだ理由は、日本とは文化も、経済状況も、治安も、言葉も、人種も全てが違う国であったからです。ただただ、日本社会の要素がない国に行きたいと思ったからです。理由があるようで、理由のない旅でした。そして、とても衝撃的な旅でした。

インドの空港

実際に行ってみたインドは、私が思っていたよりも経済が発展していました。

エリアによっては、日本の都会にあるような大きなマンションが立ち並ぶ地域もあります。

 

旅行にあたって、私は「ラジさん」というインド人の通訳とインド人の運転手を旅行会社を通じて雇い、車を一台貸し切りで手配して、インド国内を移動しました。

 

公共交通機関を無事に利用するだけの言語スキルがないと判断したため、そうしたのですが、空港到着後にホテルに向かう道中で、いきなりインドの車事情にまず驚かされることになります。

インドの車

車に乗っている間、ずっと周りの車からのクラクションが鳴り響いています。そして私の雇った運転手も3秒に1回くらいのペースでクラクションを鳴らしていました。

 

始めはヤバい運転手にあたったのかと思いましたが、「インドではクラクションは安全な運転のために欠かせないものである」と通訳の方が教えてくださいました。

 

インドでは、周りの車や人に対してクラクションを鳴らすことで、「自分の車がここにいるぞ」ということをアピールして、注意を促すという役割があります。

 

私が乗ったタタモータース製の車には、ウインカーが付いていましたが、これは使いません。車線変更(但し、多くの車線は日本のようにキッチリしていませんが)する際にもウインカーを使うことはありません。ラクションを鳴らしまくって車線を変更します。細い路地で車とすれ違う時にも、これでもかと鳴らしまくります。


日本のようにクラクションを鳴らされたことに腹を立て、後ろから煽ってくる人はいません。クラクションを鳴らすことが当たり前の文化です。

 

インドには人が多いですが、人だけでなく、郊外に出ると動物もたくさん道路上を歩いています。牛などの日本でも見かける動物に加え、ゾウやラクダにも遭遇します。停車中にすぐ横でラクダが草を食べ始めたのには笑いました。確かにゾウやラクダには、小さく点滅するウインカーよりも、大音量のクラクションの方が効果ありそうです。

 

交通事情に加え、もう一つ衝撃的だったことは、エリアによって貧富の差に天と地ほどの違いがあるということです。

インドの町

経済発展しているエリアには、グッチ等のブランドショップがあります。メニューが個性的なマクドナルドもあります。ただし、少しそのエリアを離れるだけで、満足に家も持たない乞食だけのエリアにたどり着きます。


そして、観光客の車が来たと分かると、すぐに寄ってきます。渋滞で停車すると、あっという間に乞食に取り囲まれます。ジェスチャーで「何か食べ物をよこせ」と訴えてきます。通訳の方からは「決して目を合わせないように」と言われました。目を合わせるとその行動がエスカレートしてしまうからだそうです。


泊まったホテルでも、あまり油断してはいけません。夜に出歩くなどもってのほか、「夜にすれ違う人全員を、悪人だと思ってください。」と通訳さんに言われました。もはやアウトレイジの世界です。ホテルの前には警備員が数人おり、その全員が大きな銃を抱えていました。観光客が持つ金品を狙った犯罪者の襲撃に備えているそうです。

 

 

通訳の方がおっしゃっていました。乞食になる人間の多くが教育を全く受けていないそうです。

そして、教育を受けていないが故に、乞食以外のまともな職業に就く術を知らないそうです。つまり「乞食以外の将来ビジョンが頭の中にない」ということです。

 

一方、日本では、新卒採用の学生が会社に属してサラリーマンになることが一般的です。それは決して悪いことではないですが、サラリーマンにならない職業選択の自由もあるのにも関わらず、多くの方はそれを選びません。

それにはいろいろな理由があると思いますが、理由の一つとして、「サラリーマン以外の職業に就くというビジョンが頭の中にない」という方もいると思います。実際、私はそうでした。

 

〇〇という職業があることを知らなければ、〇〇を目指すこともない。

 

そういう意味では、少し考えさせられる話でした。

教育の大切さや、社会人になる前に世の中を自分の目で良く見ておくことの大切さを感じた気がします。ちょっと私は気づくのが遅かったですが…。

 


さて、テレビのバラエティ番組の中では、インドといえばタージマハル等の超有名スポットの美しさに焦点があたります。

タージマハル

言いかえると、テレビ放送に耐えうる綺麗な場所しか紹介されていません。

 

私もタージマハルに行きましたし、感動もしましたが、正直インド旅行はいたるところにツッコミ所が多すぎて、それどころではありませんでした。

 

インドで「円をルピーに両替したら、その半分以上のお札に血が付いている」とか、「トイレを済ませると、手を拭くための紙を渡してくれる係の人が必ずいる」とか(その人にチップを払わなければ、トイレから出られません)、常に緊張感を持って旅をしていました。

 

でも、インド旅行で一番心に残ったのは、タージマハルではなく、ラクダの近くを爆走する車でもなく、乞食になるためだけに毎日を過ごす、キレイな目をした小さな子供達かもしれません。

 

そして、インドの劣悪な治安を通じて、日本のおかれた環境に感謝することもできました。

少なくとも私は安全な街に住み、深夜に歩いてコンビニに行くことができ、自分のやりたい仕事を決めることができます。そして、その仕事を辞めることができます。

 

インドはとても衝撃的で、ある意味魅力的な国ですが、日本人一人での行動は絶対にお勧めしません。

必ず旅行会社を通じて雇った現地の通訳等と共に移動し、可能であれば運転手付きの車をチャーターしてください。インドで車を運転手付きでチャーターしても、全然高くありません。

 

今回お世話になった通訳さんからお聞きしましたが、一人で旅行している観光客に優しい言葉をかけて近づき、睡眠薬を飲ませて、持ち物が全て盗まれるという事件が、過去に多発したようです。そしてその観光客の多くが二度と目を覚まさなかったそうです。

 

インドが魅力的な国であることは否定しませんが、テレビが放つ「インドの世界遺産は素晴らしい」という、ステレオタイプなイメージだけで、安易に単身バックパッカーにならないよう、十分ご注意ください。

 

厚切りジェイソンさんに教わった、ミニマムスタートという仕事のありかた

ある仕事の関係でたまたま厚切りジェイソンさんとお話しする機会がありました。「Why Japanese people?」というフレーズが有名な方です。最近では子供向けの英語教育番組や、CM等、多方面でご活躍されています。また、ジェイソンさんはIT企業の役員でもあります。

 

数回、言葉のやりとりをしただけであり、たくさんの関係者のうちの一人ですので、ご本人は、私のことは覚えていないと思いますが、その時のお話で印象に残っているフレーズがあります。

 

ミニマムスタートという言葉です。

 

ミニマム(最小限)のスタートという意味で、


「何か新しいことをやりたくなったら、今の立場のままでいいから、少しだけ始めてみよう。最小限のスタートであれば、大きな決断はいらない。」


「それがうまく行けば続けよう。うまく行かなかったらまた違うことを考えてみよう。」


「それを繰り返しているうちに後悔のない人生になる。」


という趣旨の言葉でした。

 

その言葉が忘れられず、それ以降は、何か気になることがあったら、会社NGでない範囲であれば何でもやってみることにしました。

と同時に、サラリーマンという立場のままでも始められることが山ほどあるということに改めて気が付きました。

 

自分が知らない新しいことを探すという楽しみが増えました。

 

何かを学ぼうと思えば、ネット検索すればいくらでも講座やワークショップがヒットします。その中には、必ず自分のペースでもできるものがあります。

そして新しいことを始めると、新しい人との関わりが増えます。その人を通じてまた新しい世界を知ることができます。

 

サラリーマンという仕事は毎日毎日出社しなければならないので大変ですが、その分安定した給与が得られます。

安定した収入があるうえで、プライベートの時間には自分の世界をいくらでも広げられると思うと、サラリーマンも悪くないかなと思います。

 

私もかれこれ、いろいろなことにチャレンジしましたが、情けないことに長続きするものはその中のほんの一部です。

 

でもそれでもいいと思っています。

 

勉強のために思いつきで購入した数万円の教材がいくら無駄になろうと、私の人生トータルで見れば、何の悪影響もありません。むしろ自虐ネタが一つ増えて、会話が楽しくなるくらいです。

 

全てがプラスです。

 

全てがプラスなのですから、「やってみたいけど、お金にならないからやめよう」だとか、「他の人もやっていることだからやめよう」だとか、そんなことは考える必要はありません。やってみたいと思うことを実行し、やめたくなったらやめるだけです。

 

全ての選択肢が正解です。

 

それは、自分が試してきたことを、自分の人生を全肯定することに繋がります。

 

ジェイソンさんも、こうやって自分の活躍の場を広げていったのかもしれません。

 

避難所に行ってはじめて分かること

2018年台風21号の被害も収束しないうちに、2018年9月6日午前3時8分ころ北海道で、最大震度7地震が発生しました。北海道で震度6強が観測されたのは、新しい震度基準になってから初めてとのことです。


近畿地方における広範囲の停電がまだ解消されていないうちに、新たに大規模停電が別の場所で発生するという、あまり聞いたことのないような状態になっています。
今も多くの避難所が開設されていると思います。

 

私は過去、「東日本大震災」発生当時、避難所の支援活動を行ったことがあります。
当時の支援活動で伺った避難所はとても悲惨な状態でした。

 

多くの方が、避難所で長期間過ごすという経験がないと思います。

災害が発生すると、行政機関から「避難指示」「避難勧告」等が発令され、危険が予想されるエリアから、避難所への避難を促されます。避難しない人もいますが、自宅に大きな被害があった場合、多くの方が安心を求めて避難所にやってきます。

 

ですが、私の経験上、大災害発生時に人であふれかえる避難所は、とても過酷な生活環境となっています。とてもホッと一息できるような空間は、そこにはありません。

 

まず、とても忙しいです。

 

テレビのニュース番組で、おじいちゃんやおばあちゃんが体育館に段ボールを敷いて、その上に横たわっている避難所の光景を見たことがある方は多いと思います。

それだけを切り取ってみると、避難所が忙しいという感覚はあまり伝わらないかもしれません。

 

しかし、大災害発生直後の避難所で、ずっと寝ていられるのは体調の悪い方や、体の不自由な方だけであると思った方が良いです。動ける方には仕事があります。

 

何かというと、避難所の運営です。

 

避難所は市区町村等の行政機関が開設します。そこに市区町村から行政職員が来ることもありますが、広範囲における災害の場合、各避難所に派遣される支援職員は、多くて数人です。場合によっては全く来られない場合もあります。

 

職員が来られない場合は言うまでもないですが、仮に来たとしても、職員数人で、数百人規模の避難者をさばき、飲み物や食べ物等の物資配布ができるでしょうか。


間違いなく絶対にできません。

 

圧倒的に人が足りないため、そこにいる人が協力して避難所を運営することになります。
防災には自助・共助という考え方が必要です。

 

避難所が学校である場合、学校職員が避難所運営に加わることになりますが、学校職員は24時間休まず働ける訳ではありません。そして、職員もまた被災者です。もし仮に子どもが大けがをしていて付き添う必要があれば、避難所運営どころではないでしょう。

 

よって、避難所では、行政職員や学校職員が当たり前に何でもやってくれるという考えは通用しません。自分で動く必要があります。そして、飲み物や食べ物等の物資が配布されるとしても、発災直後は非常に少ないです。被災者同士が譲り合いの気持ちがないと、あっという間にトラブル発生です。

そして、ケンカをしたところで、ケンカの仲裁をしてくれるような人はそこにはいません。ただでさえ職員の皆さんは忙しいのですから。

 

また、もう一つ避難所の過酷さを極めるのはトイレ環境です。

 

豪雨では大丈夫かもしれませんが、大地震の場合、ほぼ間違いなく水がとまります。
水がとまった時の水洗トイレの悲惨さを想像できるでしょうか。現実はその想像をはるかに超えると思います。

 

汚い話になりますが、ご容赦ください。

 

トイレの水が流れないということは、汚物は当然流れません。流れませんが、人が生きていれば必ずトイレに行かなければなりませんので、汚物がたまったままのトイレで用を足すことになります。最終的には、便器が汚物で溢れます。そしてとてつもなく臭いです。

 

トイレットペーパーがあればまだいい方です。

仮に学校が避難所になっている場合でも、避難者数百人のトイレをカバーできるほど、トイレットペーパーは置いてありません。すぐになくなります。皆自分のもっているティッシュや紙、ハンカチなどで拭くことになります。それらも無くなれば拭くことすらできません。

この過酷な状態でストレスを感じない方がおかしいです。

 

避難所で体調を崩して病院に運ばれる方が後を絶たないのは、このような過酷な環境が裏にあるからです。暑い寒いだけではありません。マスメディアによって伝えられることはあまりありませんが…。

 

では非難しない方がいいのでしょうか。

しかし、自宅が危険な場合はそういう訳にもいきません。


いろいろ考え方があるかもしれませんが、私は経験上「体の不自由な方や、小さな子供がいる場合、避難先は避難所でなくても良い。」と考えています。

 

ではどこに逃げるのかというと、「被害の全くないエリア」です。地震であれば、少し震源地を離れるだけで、全く被害のない場所がたくさんあります。

近隣県でも、遠くの県でもよいので、被害が全くないエリアのビジネスホテルや安い民宿等をおさえて、1~2週間くらいそこで過ごすということです。

 

東日本大震災が発災した直後、私の居た岐阜県もかなり揺れましたが、ライフラインは無事ですし、コンビニはどこも通常営業していました。スーパーで物が足りないという訳でもありません。普段どおりの生活がありました。

 

岐阜県から福島県までは遠いです。

遠いですが、車で一日あれば十分移動できる距離です。


車で一日あれば移動できる距離に、何不自由なく生活できる環境があるのであれば、

そして、もしその移動手段があるのであれば、そこに行くという選択肢を排除する理由がありません。

 

お金はもちろんたくさんかかります。
確かにたくさんかかりますが、ここで使わずして何のためのお金でしょうか。
被災地に留まって病気になるより、百倍マシです。

 

私は、災害の多い日本のインフラ復旧能力は、世界最強だと思っています。
1~2週間被災地を離れて、戻ってきたころには、快適さのレベルは桁違いに上がっています。そこからゆっくり家の片づけを始めても良いと思います。

 

ちなみに、安全なエリアに避難する際の移動のタイミングですが、本当の発災直後はお勧めしません。何故ならどこを通れば被災地を脱出できるのか、この時点では情報がないからです。道がなければ車は走れません。


一番間違いないのは、被災地に物資が届けられ始めたタイミングです。

 

被災地に物資が入ってくるということは、「大きなトラックが、安全なエリアから被災地に入ることができる道がある」ということです。
入ることができたのであれば、出ることができます。トラックを運転してきた方に話を聞くのが最も確実です。

 

今回お伝えした、被災地から離れるというのは一つの手段です。

この手段は万能ではありません。


被害を受けた家を離れて無人にするということは、悲しいことですが火事場泥棒に遭うリスクもあります。その場合は、誰か最低でも一人は被災地に残らなければならないかもしれません。

 

それでも、一つの選択肢としてこの手段は有効です。事実、被災地で同じことを実行されている方はたくさんいらっしゃいました。

 

発災直後は困難な状況で、何も考えられないかもしれませんが、つらい時こそ少しでもストレスを軽減するため、様々な選択肢を持って行動していただければと思います。

それと同時に、現地の被害が少ないことを心よりお祈りします。